鴻池朋子さんの個展を見に行った。
とてもよかった。
あの人の言葉とかモチーフの選び方に、とても自分と近い物を感じた。
「でも最初は信じるなんてなかった」
「うんこも花も全部いっしょだった」
「全部ひどくて、全部美しい・・」
あぁ、そうそう、それ私も思ってたんだよね。でも先に言われちゃったよって思った。
あーやっぱり私もあと10年くらいは何かしら作っていかなきゃいかん。
適当にだらだらと日常と夢を綴るリリカルな自己満足ブログ(仮)
ブクログがとてもおもしろい。
私は絵を描く事が好きだけれど、多分それ以上に、本を読むことが好きだ。
大学に入って1人暮らしをしている間、実家にあった私の本を、ほとんど全部勝手に処分されていたことは記憶に新しい。その時、犯人である父を泣きながら糾弾して、あらん限りの言葉を尽くして罵った。(今では少し父に辛くあたりすぎたかな、と反省していなくもない)
それほどに本を愛している。
「もう読まないでしょう」とか、そんなことは問題ではない。何もする事が思いつかないとき、ふと昔の事を思い出したとき、懐かしい本を手にとってパラパラとめくること。それが私にとっての至福の時なのだ。だから私は図書館をあまり利用せずに、読みたい本は本屋で購入する。
本はいくら読んでも読みすぎるという事はない、と信じているけど、如何せん、本を収納するスペースは限られている。そのために人は読み終わった本を、泣く泣く捨てたり、古本屋に売りさばいたりするのだ。
そんな本好きのためにあるような架空の本棚。なんとも素敵ではないですか。登録してから頑張って1日で100冊の本を収納した。疲れたので、思い出しきってないものはまた後日。
彼は腰の手術のために長く部屋を空けていたんだけど、私はその間、誰も止める人が居ないから部屋を散らかし放題。で、彼が急に退院して帰ってきたと思ったら、今日、彼のお母さんがやってくると言い出したのだ。
慌てて敷きっぱなしの布団やら台所のゴミやらを片付けていると、何故か水道工事の人や大家さんなどもやってきて、まさにてんやわんやな状態になった。
水道工事の人がお風呂に向かうと、水道から水が流れっぱなしで、お風呂から水が溢れている。(何故かお風呂が2個あって、片方からは入浴剤の匂いがした。)
「ちょっと、あんたシャワーつかったの?」と問いただしたら、彼は、「ごめん使ったわ。」と、笑いながら言った。
水道屋が帰り、私たちはまた部屋を片付けていた。彼が「なんか食べる物無いの?」って言い出したので、「最近太ったからお菓子とかは買わないんだよね。」って答えたら、「そうだね。」って答えやがった。私は「肯定するなよ。」と、むっとしつつも、ジーパンの上に乗り上げている贅肉に手をやり、すこし赤くなる。そこで、2人とも上半身裸でいることにはじめて気づく。恥ずかしさなどが微塵も無いことに違和感を覚えつつ、台所の生ゴミなどを片付けていった。
やがて彼のお母さんがやってきて、「アンケートに答えてほしかったの。」と、紙とペンを手に、おもむろに息子に質問をはじめた。「母親が部屋に来て一緒に暮らそうって言われたらどう思う?」っていうような質問だったと思う。
私はその質問の裏を読むことも、彼の答えを聞くこともせず、片づけを続行しながら、『私だったら普通に一緒に暮らしたいかなぁ。』と、ぼんやり考えていた。
ちなみに彼は本当は経済学部の学生なのだけれど、夢の中では彼も私と同じ大学に通う美大生で、何故か一緒に合作のような油絵を描いていた。
彼のお母さんは私たちが部屋で一緒に描いている絵を見て、「あら、素敵ね、これは誰の・・卒業制作かしら?」と聞いたので、私は、「それは卒業制作とは別物です。2人で何か合作みたいなものを描こうってことになって、上半分は私が描いているんです。」と答えた。
その絵は実におそまつな構成で、抽象的に描かれた風景と、記号のような、キャラクターのような、よくわからないものが合わさっていた。
彼のお母さんが、「あなたはどちらかというと具象的な絵を描くのね。」と言ってきたので、「ええ、まぁその、具象と抽象の間らへんを・・」と、意味不明な受け答えをした。すると、どこから湧いて出たのか、大学のクラスメイトに、「あいだねぇ・・。」と鼻で笑われた。